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学習会 | |||||||
吾妻鏡 | 2016年1月〜2019年3月 (39回) | ||||||
年月日 | 区分 | 講師 | テーマ名 | 概要 | |||
1 | 2019/3/15 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第39回 中止 | |||
2 | 2019/2/15 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第38回 景時・直実・重忠の秘話 | 梶原景時は年貢横取りの弁解。熊谷直実は的立拒否。畠山重忠は代官の横領。 | ||
3 | 2019/1/18 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第37回 頼朝 朝廷政権へ介入 | 地頭は警察権限と反別五升の兵糧米徴収権を持ったが、後白河は地頭撤退をせがむ。 | ||
4 | 2018/12/21 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第36回 頼朝と後白河法皇の駆引き | 義経の逃亡を理由に諸国荘園公領くまなく、追補使という名目の地頭配置を申し入れた。 | ||
5 | 2018/11/16 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第35回 静御前の舞 | シヅヤシヅ〜〜ノヲダマキクリカヘシ昔ヲ今ニナスヨシモガナ | ||
6 | 2018/10/26 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第34回 義経反逆逃亡 | 行家と義經が、大物浜で船に乗らんとした時に、急に突風が吹き大波が船をひっくり返した。 | ||
7 | 2018/9/21 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第33回 屋島・壇ノ浦の合戦 | 長門国赤間関壇ノ浦の海上で、源氏と平家の軍船が、お互いに三町(約300m)離れ。 | ||
8 | 2018/8/17 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第32回 一ノ谷の合戦 | 大手口の総大将は範頼軍。一番乗りは熊谷直実。搦め手口の義経は鵯越の逆落とし。 | ||
9 | 2018/7/20 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第31回 清盛死す・野木宮合戦 | ほぼ関東を征した頼朝の鎌倉政権は成立したので、鎌倉幕府誕生と云っても良いでしょう | ||
10 | 2018/6/15 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第30回 平家 三井寺・南都を焼く | 宿老らの提案で、常陸の佐竹を制し、ほぼ関東を掌握した頼朝でした。 | ||
11 | 2018/5/18 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第29回 富士川の合戦・義経参上 | 奇跡の挽回を果たし鎌倉入りした頼朝。富士川で平家敗走後、義経と会見。 | ||
12 | 2018/4/20 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第28回 頼朝 奇跡の挽回 | 石橋山の合戦では散々に負けた頼朝は、味方の兵士と共に安房へ逃れた。 | ||
13 | 2018/3/23 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第27回 石橋山合戦 | 頼朝は、以仁王の令旨を受け、治承四年八月旗揚げをし、平家の山木兼隆を討ったが。 | ||
14 | 2018/2/23 | 吾妻鏡 | 藤田一彦・加藤正昭 | 第26回 頼朝の旗挙げ、:仏師 運慶」 | 頼朝が旗揚げをするのは、治承四年(1180)八月十七日ですが、それまでの経過は? | ||
15 | 2018/1/19 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第25回 吾妻鏡について | 吾妻鏡は、五十二巻まで。治承四年四月の以仁王挙兵から蒙古襲来の七年前まで。 | ||
16 | 2017/12/15 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第24回 幕府移転・宮騒動・宝治会議 | 執権時頼の時代になり、あの三寅将軍も成人し、何かと政治事に口を出すようになった。 | ||
17 | 2017/11/24 | 吾妻鏡 | 藤田一彦 | 第23回 御成敗式目 | 御成敗式目の成立過程とその内容から見る東国武士の考え方 | ||
18 | 2017/10/27 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第22回 尼将軍逝く | 執権義時の死後、泰時政権誕生を画策した政子。幼い将軍を擁して尼将軍に。 | ||
19 | 2017/9/15 | 吾妻鏡 | 第21回 義時の死と伊賀の乱 | 義時から泰時への権力移行の経緯とその中で起きた陰謀事件 | |||
20 | 2017/8/18 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第S回 昔の法則(干支、官職、度量衡等) | 十干十二支組み合わせて干支。土地の四神。律令制の四等官の制度。長さなどの単位。 | ||
21 | 2017/7/21 | 吾妻鏡 | 須知正度 | 第R回 承久の乱 | |||
22 | 2017/6/16 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第Q回 摂家将軍来る | 三代将軍源実朝をうしなった鎌倉政権下では、新たな将軍を京都朝廷からと画策する。 | ||
23 | 2017/5/19 | 吾妻鏡 | 藤田一彦 | 第P回 源実朝暗殺 | 暗殺の黒幕は居たのか。居たとしたら誰か。 | ||
24 | 2017/4/21 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第O回 和田合戦始末 | 合戦で撃たれた人々の日の記録。相模国最大の山内荘は義時の手に。 | ||
25 | 2017/3/17 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第N回 和田合戦 | 義盛の屋敷に軍勢がわれもわれもと集まって来て、鎧の音をさせている。 | ||
26 | 2017/2/17 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第M回 和田合戦前夜 | 対戦の首謀者は、政所別当の北条義時VS侍所別当の和田義盛。 | ||
27 | 2017/1/20 | 吾妻鏡 | 藤田一彦 | 第L回 源実朝 和田合戦まで | 実朝とはどんな将軍だったのか。どんな将軍として期待されたのか。 | ||
28 | 2016/12/16 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第K回 弓矢物語 | 戦は矢合わせから。武士の御調度は弓矢。弓場の距離は頼朝が決め明治まで続いた。 | ||
29 | 2016/11/18 | 吾妻鏡 | 須知正度 | 第J回 奧州合戦 | |||
30 | 2016/10/21 | 吾妻鏡 | 藤田一彦 | 第I回 冨士の巻狩と曾我兄弟の仇討ち | 征夷大将軍に任じられた頼朝が催した軍事イベントとそのなかで起きた曽我兄弟の仇打ち。この二人の若者に錚々たる御家人が何人も死傷させられた謎。 | ||
31 | 2016/9/16 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第H回 比企の乱 | 比企能員は二代将軍の舅なので、頼朝時代の時政と同じ境遇。 | ||
32 | 2016/8/12 | 吾妻鏡 | 須知正度 | 第G回 義経と静御前 | |||
33 | 2016/7/8 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第F回 景時の乱 | 梶原景時と云えば歌舞伎ではすっかり悪役にされているが、本当にそうだったか。 | ||
34 | 2016/6/10 | 吾妻鏡 | 藤田一彦 | 第E回 頼朝の兄弟、頼朝の死 | 頼朝の死は吾妻鏡にはどう記されているか。彼の兄弟たちの生涯をたどる。 | ||
35 | 2016/5/13 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第D回 頼朝の策略 | 頼朝が鎌倉政権を擁立してからも、簡単に政権がおさまったわけではなかった。 | ||
36 | 2016/4/8 | 吾妻鏡 | 藤田一彦 | 第C回 木曽義仲と義高 | 義仲と頼朝との権力争いのなかに義高の悲劇があった。 | ||
37 | 2016/3/11 | 吾妻鏡 | 加藤正昭 | 第B回 畠山次郎重忠と二俣川合戦 | 「重忠の乱」といわれるが、畠山重忠は滅ぼされている。乱を起こしたのは誰か? | ||
38 | 2016/2/12 | 吾妻鏡 | 藤田一彦 | 第A回 頼朝挙兵その2 | 源三位頼政の敗死。頼朝挙兵と石橋山合戦。 | ||
39 | 2016/1/13 | 吾妻鏡 | 藤田一彦 | 第@回 ;頼朝挙兵 | 頼朝挙兵前後の情勢と以仁王令旨の意味と背景。併せて吾妻鏡成立、構成について概観。 |